【海外一人旅】コミュ障アラサー男の旅行記~カンボジア④~プノンペン編~
どうも!きこり(@kicori8)です。
前回に引き続きカンボジア一人旅のブログの続きになります!
このブログはタイトル通りの人間が現実逃避した旅行記録になっています。
前回記事↓
シェムリアップ→プノンペンへの夜行バスへ
プノンペン行きの夜行バスに乗り込む。日本人は自分1人。
何も聞かされて居なかったが、通路挟んで左右に席があり、上下に一席(一部屋?)のづつの寝台バスでした。
「予約してくれた受付の人何も言ってくれなかったな」と少し不満に思いつつ、番号確認して入り口の一番手前に乗り込むと、すでに先客が。
席番号間違えたと思って謝罪して再度席番号を確認すると、とくに間違いはない状況。
違和感を覚え、他の席見ると一席(一部屋)に2人寝転がっている状況。
ここに来て新事実。
まさかの一席に2人で現地の方と相席。
肝心な事は先に言ってくれと思いつつ、引くに引けず大人しく乗り込む事に。
これから約250km 6~7時間 不安しかない。
無事出発。万が一もあるため寝るにも寝れず、早くもすやすや寝息を立て始めた現地民のkindleで読書に勤しみました。
運転が荒くてかなり揺れるため、読書をすぐに断念。
最前列だったので、道中をただ観察。道も悪くて、さらに電柱もない全くインフラ整っていない状況。
そしてどこからか音楽が聴こえてきました。
「深夜バスで消灯してる状況で音楽流す乗客なんて日本じゃ考えられないな」と思いつつ運転席に目をやると、運転手がスマホで曲流しながらノリノリで歌ってました。
「あんたかよ」とツッコミたくなりつつ。色々足りてないのに、情報は多い道中でした。
何より聴いてた音楽のリズムが癖になりました。
癖になるリズム。 #カンボジア pic.twitter.com/altTdQ73hp
— きこり@林檎班員 (@makikicori) September 28, 2019
予定よりかなり早めにプノンペンに到着
かなりの速度で飛ばしていたので、朝4時半にプノンペンに到着。予定より早すぎる。全部聞いてた話と違うじゃん。まだ完全に夜で宿空いてのに、ここで待てというのか。
明るくなるまで適当に時間を潰すことに。
プノンペン都会と思ってましたが、夜中の雰囲気は緊張感覚える位張りつめてました。
恐怖心芽生えつつ、彷徨いリバーサイドパークで音楽聴いて時間過ぎること待つ事、約2時間。
写真では伝わりずらいけど、朝日がとても綺麗でした。
メコン川がさらに朝日引き立ててくれます。何気ない時の景色が綺麗で印象に残ってます。
当初は9/28の夕方に着く予定でしたが、バスが無かった為朝7時頃に着く旨を翻訳でメッセージしていたので、宿に向かいます。
One Stop Hostel Phnom Penh (ワン ストップ ホステル プノンペン)に宿泊
今回も日本人経営の宿に宿泊。
相当な距離を移動した後にエレベーターなしの4階は辛過ぎました。
宿情報↓
部屋は綺麗だけど、虫が至る所にいました。疲れ果てて速攻就寝。夕方から動き出します。
プノンペンに来た意味を己に問いたい
18時前に起床。疲れが抜けず。
明日のシェムリアップ行きのバスも無事取れて、宿で遅すぎる昼食。
現地の方のスタッフがフレンドリーでとても親切でした。それだけでこの宿泊まる価値はありました!ご飯も美味しかったです。
日本人経営だから細かい所しっかりしている印象受けました。
これだけ苦労してプノンペンに来て明日朝にはシェムリアップに戻るので、体にを打って街へ繰り出します。
プノンペンの街で両替しましたが、この旅で2番目のレートの高さの10,000円→$93になりました。
そしてをナイトマーケットに繰り出して色々彷徨っていると、キャバクラ的な雰囲気の所に勧誘されました。
妙な罪悪感を覚えつつ流れに身を任して入店。
日本にいる時でも付き合いで一度しか体験した事のないキャバクラ(的な所)に1人で入る日が来るとは。カウンター席で女性が2人ついてくれるも、お互い英語もままならず意志疎通が出来ない状況。
はっきり言ってそんな状況で飲むお酒は相当つまらない。何の時間だこれ。
恐らく正しい楽しみ方があるのだろう。
アラサーのいい歳こいた大人だから何となくはわかっている。
日本で初めてキャバクラに行った時も全然楽しめず(女の子とろくに話せず)に用事があると周りに嘘をついて(自己防衛の為)友人のBARに逃げだした過去を思い出す。
気が付いた時には、会計済ませてキャバクラを後にしていた。
そして宿に戻り、明日の朝バス早いため熱めのシャワーを浴びて就寝。
何だよ、このブログ。
健全な成人男子なら海外で浮かれて、男の楽しみ方をするであろう。言わば醍醐味だろ。
それが出来ればブログのネタにでもなったはずなのに。
人間そう簡単には変われないと実感しました。
27年間歩んだこの性格、海外行った位じゃ変わりません。※個人差あり
それでも自分というコミュ障な人間を生きて行くしかない。そう、感じている。
こんな締めでいいんだ。いいよね。それでは⑤のブログでマタアイマショウ。
↓⑤の旅行記はこちら